みずくち

「水口」

の酒・三千盛


「三千盛」(ミチモリではなく、ミチサカリと読みます)の名前の由来をよく人から質問されます。「三千盛」という名前に何か立派な由緒があるように思っておられる方が多いようですが、残念ながら、自慢できるような由緒は何もありません。

 徳川時代から明治の末頃までは、「金マルヲ」「銀マルヲ」「炭マルヲ」の名前で売っていたのです。マルヲというのは、尾張屋の尾の字をとったもので、が我家のシンボルマークになっていたからです。昔は印の味噌や醤油も製造していましたが、今は酒造りだけを続けています。

 明治末、「金マルヲ」は「黄金(こがね)」と名が変わり、私の幼い頃−その頃はお酒は全て樽詰でした−小判の図柄の上に「黄金」と書いたレッテルを樽につけて売っていました。ところが、「黄金」を名乗る銘柄が全国で20以上もあり、何とか独自の名前をつけたいと苦心していた父が、小学生だった私にまで良い名前はないかと尋ねたものでした。その頃は全国に一万軒からの造り酒屋があって、父の考えついた名前は全て他の造り酒屋から登録されており、この上は土岐とか笠原とかの地名を冠した名前にするしかなかったのです。そんな折りに、この名前ならすぐ登録できるといって、レッテル屋が持って来たのがこの「三千盛」でした。この頃は今のように特急・一級酒等の級別制度はなく、「三千盛」の上に特撰、褒紋、別撰等の文字を冠して売り出しをはじめました。

 4〜5年前からの酒の嗜好も次第に辛口に向いてきましたが、戦後は甘口全盛で、「から口三千盛」としては、苦労の連続でした。もっと甘くしなければとても売れない、という声が社の内外から起って来た時、私は酒の販売業者、料飲店、消費者等に意見を聞いて回りました。「辛すぎる、もっと甘くしろ」という方が6割、「三千盛を飲みつけていると灘・伏見の大手の酒はとても飲めない。今の味を変えるな」と励まして下さる方が4割近くもありました。この方々に力づけられて、それならば何とか、辛口で、しかも口当りがやわらかく、飲み易い酒を造ろうと、努力を続けることが出来たのです。

 そうしている内に、大変幸運なことが2つ起りました。1つは辛口の酒として売っていた灘の大メーカーが突然甘口に変えたこと。もう1つは作家の永井龍男先生に、たまたま三千盛を飲んで頂いたことです。灘の辛口の酒が甘くなったことで、辛口ファンは日本酒に失望し、日本酒市場に大きな真空状態のようなものが出来ていたのではないかと思います。そんな折、永井先生の強力なご推せんと口コミによって「三千盛」が広まっていったのです。この2つの幸運がなければ、とっくに造り酒屋は廃業に追いこまれて、「三千盛」という銘柄もなくなってしまったことと思います。

 或る評論家は「三千盛」を飲んで、辛口というよりも「水口」の酒だと評し、また霞みたいで仙人の飲む酒だ、といった人もいました。これは誠に我が意を得た言葉だと思っています。水みたいに抵抗なくいくらでも飲めて、しかも日本酒独特の旨さがあり、酔いざめのいい酒、これが最高の酒だと信ずるからです。以前は「もっといい酒を造れ」とか「もっといい香りを出せ」と杜氏に注文を出していましたが、最近は「味が多すぎる」とか「もっと雑味をとれ」などと要求することが多くなったのも、余分な味を取り除いていくと、最後に日本酒独特の旨さだけが残るように思うからです。品評会等へ出品すると「味不足」とか「みうすい」と批評されることもありますが、私はそれでいいと思っています。品評会では冷のまま審査しますが、燗をすれば、そのような感じはなくなるのですから。

 西洋料理は料理が主であって、ワインは従、すなわちワインは料理の味を引き立てるためのもの。それに反して日本酒は酒が主で、料理は酒を引き立てるためのものであるといわれますが、私はこの考え方にこだわっていません。料理の味を引き立てる日本酒があってもよいし、刺身に合う酒、鰻に合う酒、天ぷらに合う酒等いろいろなタイプの酒があるべきだと考えています。その点「水口」の酒は刺身にも、鰻にも、天ぷらにでも何でも合って、しかもその味を引き立てる。そういうお酒です。「水口」の酒というと金魚酒みたいで、キャッチフレーズにすることも出来ないので、辛口といっておりますが、三千盛のねらいは、まさしくこの「水口」の酒なのです。



<三千盛主人独言>

一杯きげんのこと


作家−永井龍男氏談話


 もうかれこれ16〜7年近く前のこと、旅先の岡山で、この酒を発見した。あの頃はまだ、瀬戸の魚がうまくてね。御馳走はすばらしいんだが、酒がいけない。どれもこれも甘ったるくってすぐあきがくる。親戚の家だから遠慮なく言うと、東京からきた客だから、いままで出したのはみんな灘の酒で、あとは岐阜からもらった地酒が残っているだけだ、という。それじゃあ、それを呑ませろと言って、はじめてお眼にかかったのが、「三千盛」なんだ。

 から口で、癖がなく、とてもよかった。その味が忘れられず、鎌倉へ帰ってすぐ、醸造元から取り寄せてあらためて試飲した。間違いなく、うまい。鎌倉うちでも、大層評判がよくそれが縁で三千盛を愛飲してくれている人が多い。それまで私は、灘のある酒、醸造元から樽酒を直送させて十数年呑んでいたのだが、それをやめて三千盛の瓶詰に転向した。

 ちょうどその頃、ある座談会で酒の話が出たので、どこの酒も砂糖水のようになったが、この三千盛はうまいとおしゃべりをした。
 世の中には物好きがいるもので、私の話を読んで三千盛をさがしまわった人がいる。渡辺虎信という銀座でピアノ関係の商売をしている愛飲家で、岐阜県の物産館東京出張所などに問合わせたりして三千盛を入手、呑んでみるとなるほどこんなうまい酒はないと感心した上、新橋駅に近い烏森神社の境内に早速、「司家」という呑み屋を新規開店、奥さんに店を守らせて、自分が第1号の客になった。この人は東京朝湯会の会長を勤めて、その方でも有名な変わり種だが、逢って話してみると、戦前から戦後にかけての日本橋から銀座界隈の、多少名のある呑み屋なら知らないところはない愛酒家だった。その人が、この酒にほれて店を出した。

 世の中に酒呑みは沢山いるが、どうも自分で、自分の呑む酒を選ぶ人がすくない。ほとんどが、名柄で呑んだり、名柄の通った酒を呑まされて満足しているし、呑ませる店の方も、自分のとこは一流の酒を使っていると大きな顔をしているようだ。宣伝の行き届いた酒はうまいのだと、無条件で信じる習慣があるんだね。

 三千盛というのは、どこの酒だ、岐阜県の多治見市に近い笠原町というところの酒だと答えると、ああ地酒だねと、わかったような顔をする人がある。
 地酒とは、灘以外の地方で出来る酒を言ってきたのだが、昔と違って、この頃は灘と地方の差別はない。大手の酒造会社は自家醸造の酒の外に、こういう地方の醸造酒を買い集め、それを調合あんばいして瓶に詰め、自分のとこのレッテルをはって市場へ売り出しているのだから、差別のある道理はない。こんなことを物識り振って吹聴するのではない。誰だって御存じの事実なんだが、まだまだ灘以外の酒なら地酒だと、古い言いならわしを鵜呑みにした半可通がいる。
 大手の酒造会社が、地方の蔵元から酒を買い集めて、自分の店のレッテルをはる世の中であれば、今日の地酒は自分の蔵で造り、自分の家の名柄で売る、正直一途な酒という意味になるんだ。

 三千盛は、甘い酒でなければ売れぬというこの2〜30年間、先祖伝来のから口を守って、まやかしのない、正直一途の商売を通してきた酒作りである。この頃、いろいろな品に「手作りのよさ」というが、この酒こそ手作りの味だよ。
 酒が甘ったるくて呑めないという友人の言葉を聞くごとに、それではこの酒を呑んでみてくれと、別に頼まれた訳ではないが、宣伝力皆無の点に同情して肩を入れ、肩を持ってきたのは、その生一本さにほだされたからだが、うれしいことに、銀座でも、赤坂、日本橋でも、東京の盛り場でこの酒を使う店が方々に出来た。

 から口の酒と一口に言っても、いろいろあるが、正直一途でごまかしのない三千盛を敢えて愛酒家諸兄におすすめする。まあ一度、是非呑んでみてください。

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